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あのショット
こんにちは、言語聴覚士の池田です。
『♪コートでは だれでもひとり ひとりきり』
のフレーズでピンときた方は、私と気があうかもしれません。
私は中学時代からずっとテニスを続けていましたが、決して「そーれ♡」のようなテニスではなく、まるで格闘技のようなごりごりの体育会系でした。
サーブの打ち分けやボレーの的当て、ロブで抜かれたときの切り返しやえげつない角度のアングルショット……とにかく何千本、何万本練習したかしれません。文字通り、泣いて吐いて倒れるまで練習するわけです。
そこには日本庭球会の第一人者、福田雅之助(1897年 – 1974年)による言葉、
“この一球は絶対無二の一球なり/されば身心を挙げて一打すべし/この一球一打に技を磨き体力を鍛へ/精神力を養ふべきなり/この一打に今の自己を発揮すべし/これを庭球する心といふ”
があります。
たとえそれを知らなくても、不思議なことですが、ずっと続けていると、自然と多くの人がここにたどり着いているんですよね。
どのショットがそのショットかはわからない。だからこそどのショットも心を込めて打つし、どれも“そのショット”になり得るような基礎的な練習を日々積むのです。
そしてどの瞬間のショットも、今自分が出せる全てをのせて打つのです。
失語症の訓練には、教科書的には当然いろいろとありますが、実際には同じ“運動性失語”と分類されても症状も千差万別です。
故に症状の変化を先読みして、あるいは誤りパターンから予測して、“仕込まなければいけない刺激”というものがあると思っています。
大切なのは入力刺激の調整です。
いいことを仕込まなければならないのは当然ですが、言語聴覚療法を受けたために起こる問題というのもありますから(自然な返答ではなくなってしまうなど)、どの刺激が“その刺激”になるかを考えます。あるいは、どの刺激が“その刺激”を抑制するのかも。
例えば極端な話ですが、その言語聴覚士の口癖が「はい、~」であれば、そのまま訓練される側に伝わってしまいます。時にはイントネーションや、トーンに至るまで。
しかも“その刺激”は必ずしも言語であるとは限りません。雰囲気かもしれないし、それは本当に人それぞれなのです。
だから私たちは、目の前の方に、頭のてっぺんからつま先まで、そして心まで擬態する。セラピストってとても繊細な専門職だなぁ、と常々思います。
じゃぁ途方もないじゃないの……!
と思ってしまいそうですが、元も子もないことをいえば、結局そこでものをいうのは信頼関係の構築。
つまり、当たり前の日々の積み重ねなのです。
良い関係を築けていることが大大大前提。
日々の挨拶や諸々の所作、基本的なマナーをいつでもこつこつ守り、年月を重ねた関係でも決して馴れ合いにならないこと。
そして、その方をみようとする努力を怠らないこと。
それがあって初めて、入力刺激を調整できると感じています。
そうでなければ少しずつ関係を作っているようで、少しずつリハビリを進めているようで、きっと見えない亀裂がぱりぱりと広がっているでしょう。
どんな瞬間も、何においてもそうなんだなぁと思います。
今回逆に、私は良い関係を築けていないのではないか、もしかしたら私のリハビリにご不安等をお持ちなのではないかと特に不安に思っていた失語症の方に、時間はかかりましたが私の目指していたレスポンスが得られたことですごくほっとしたことがあったのです。
やっぱり基礎は大事なんだなぁ。今日も私が100%できることは、笑顔と挨拶からしかありません。
●Instagramーst.m.ikedaー●